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嗚呼、大失敗。。 [徒然雑感]
いつもは頑張って(我慢に我慢して)、せいぜい「週一」のマッサージが
このところ、ほぼ「一日おき」になってしまっています。
<膨大な出費! に泣いて居ますー!!
先週「2日間ほど」寝込みましたので、それでもう「大体大丈夫」と
思っていましたら、今日もまた大失敗!
「11:30から」の大事な会食(ランチ)の約束があったと言うのに、
起きたらなんと「12:05」です!!
携帯にはお約束した方から、お約束した時間過ぎに、間をおいて、
2通ものメールが有りー。。
大慌てでお電話をし、正直に「寝過ごした」事を告白ー!
お相手の方は、もう帰途につかれていて電車の中でした。
嗚呼!
何を言っても言い訳です!
その方もお忙しい中、わざわざお越し下さった、と言うのにー!
サンシャインのスカイレストランの1つだったので、お天気をとても
心配していました。
「快晴」とはいかないまでも、「曇り」では、今話題のスカイツリーが
見られなくなってしまいます。
そのお店の3つしか無い個室が抑えられていたのもあって、
今日のお約束は、ワタクシ自身もとても楽しみにしていました。
まあ、今更何をどう言っても駄目で、遅過ぎると納得して、
「お店」にはキャンセルの電話をー。。
先週、先々週、嫌と言うほど続いた、東京では珍しい「雪」「雪交じりの雨」も
今週は無く、綺麗に晴れ上がり、代わりにカラカラの乾燥が戻って来ました。
スカイレストランから眺望を楽しむには「もって来い」ですが。。
銀行やら、耳鼻科やらの予定はあったのですが、
「気が抜けてしまった」せいか、そのまま、一日中、殆ど何も出来ずー。
ただ、愚図愚図だらだらとー。。
布団で寝込みこそしませんでしたが、殆ど使い物にならず、
「俄ひきこもり」と化していました。
気分もかなりおかしかったので、予定通り「会食」に出掛けていたら、
お相手の方に多大なご迷惑をおかけしていたかもしれません。。
まだ完全に復調していなかった証拠でしょう。。
そろそろ2日おきのマッサージ通いに「キリ」をつけないと、
我が家の家計が破綻してしまいます!
例年なら2~30%は終わっている「書類」も、予想以上に遅れに遅れ、
まだまだ「手付かず」のまま、です。、
今週は、先週~先々週にドタキャンしてしまった「元の実家近くの銀行行き」や、
「ワタクシ自身の診察の為の病院行き」等で、スケジュールが真っ黒で、
あまり「書類」の進捗状況には期待が出来ません。。
それでもなんとか「やらないことには!」
まずは、目指せ! 「体調回復!!」
厳しい寒さが続きます。
インフルエンザも流行っているところがあるとかー。
皆様もご自愛下さいませ。。
このところ、ほぼ「一日おき」になってしまっています。
<膨大な出費! に泣いて居ますー!!
先週「2日間ほど」寝込みましたので、それでもう「大体大丈夫」と
思っていましたら、今日もまた大失敗!
「11:30から」の大事な会食(ランチ)の約束があったと言うのに、
起きたらなんと「12:05」です!!
携帯にはお約束した方から、お約束した時間過ぎに、間をおいて、
2通ものメールが有りー。。
大慌てでお電話をし、正直に「寝過ごした」事を告白ー!
お相手の方は、もう帰途につかれていて電車の中でした。
嗚呼!
何を言っても言い訳です!
その方もお忙しい中、わざわざお越し下さった、と言うのにー!
サンシャインのスカイレストランの1つだったので、お天気をとても
心配していました。
「快晴」とはいかないまでも、「曇り」では、今話題のスカイツリーが
見られなくなってしまいます。
そのお店の3つしか無い個室が抑えられていたのもあって、
今日のお約束は、ワタクシ自身もとても楽しみにしていました。
まあ、今更何をどう言っても駄目で、遅過ぎると納得して、
「お店」にはキャンセルの電話をー。。
先週、先々週、嫌と言うほど続いた、東京では珍しい「雪」「雪交じりの雨」も
今週は無く、綺麗に晴れ上がり、代わりにカラカラの乾燥が戻って来ました。
スカイレストランから眺望を楽しむには「もって来い」ですが。。
銀行やら、耳鼻科やらの予定はあったのですが、
「気が抜けてしまった」せいか、そのまま、一日中、殆ど何も出来ずー。
ただ、愚図愚図だらだらとー。。
布団で寝込みこそしませんでしたが、殆ど使い物にならず、
「俄ひきこもり」と化していました。
気分もかなりおかしかったので、予定通り「会食」に出掛けていたら、
お相手の方に多大なご迷惑をおかけしていたかもしれません。。
まだ完全に復調していなかった証拠でしょう。。
そろそろ2日おきのマッサージ通いに「キリ」をつけないと、
我が家の家計が破綻してしまいます!
例年なら2~30%は終わっている「書類」も、予想以上に遅れに遅れ、
まだまだ「手付かず」のまま、です。、
今週は、先週~先々週にドタキャンしてしまった「元の実家近くの銀行行き」や、
「ワタクシ自身の診察の為の病院行き」等で、スケジュールが真っ黒で、
あまり「書類」の進捗状況には期待が出来ません。。
それでもなんとか「やらないことには!」
まずは、目指せ! 「体調回復!!」
厳しい寒さが続きます。
インフルエンザも流行っているところがあるとかー。
皆様もご自愛下さいませ。。
2012.01.22(日).-3 [徒然雑感]
(「とても長い」です。適当に読み飛ばして下さい。
さもなければ「スルー」して下さっても構いません。。)
お義母さんは、約40年前、義兄と主人が、大学に行くために上京した頃から
お義父さんと二人きりの生活が始まり、当然食事も「二人きり」だった。
そのお義父さん、まず「お喋り」などするタイプでは無く、必要が無ければ
殆ど口も効かない方だったそうだ。
それでもまだ「お二人でいらした間」は「良し」としよう。
約20年前、ワタクシ達が結婚した頃から、お義父さんはおかしくなり、
ワタクシ達の結婚式には出席されたものの、その直後くらいから「普通に」は
暮らせなくなった。
後は、まさに「転がるように」悪くなり、口も効けなくなり、
手足も動かせない寝たきりの老人になってしまった。
170cmはゆうに超えていて、かつ恰幅も良いので体重もかなりありそうな
お義父さんに対し、お義母さんは150cm無い小柄で痩せた方で。。。
およそ20年間、お義母さんは、ゆっくりまともに食事をなさったことなど
殆ど無いだろう。
また母も、決して嫌いではないのだが、父が晩酌の時に毎晩欠かさなかった
「お刺身はあまり食べる気がしない。」
と、基本的にが「お刺身」を嫌がっていたのだが、病院や施設では
「まず食べられない」ので、「たまには食べさせて」と珍しく自分から
リクエストする昨今だった。
その母も施設では「鍋物」はまず食べられない。
でー!
お義母さんにも、母にも、必ず喜んで貰えるだろう「鍋物」
→これは主人が
「おふくろはすき焼きが大好きだから。」
の一言で、文句なく「すき焼き」に決まりー!
いつもより豪華に張り込んだ「すき焼き」の材料を買い揃え、
キッチンに置いて、今度は「母を」施設から連れて来なければならない。
近くの老健まで母を迎えに行く。
母を自宅に連れ帰った時、既に「18:30」を回っていた。
母の施設では「夕飯は「6地から」で、大概はその30分前には
もう「食べ始めている」のが実情。。
なので「来客が有り、自宅で会食の用意をしているので~。。」
と施設にお願いし、母は、皆さんが夕飯を食べる中、一人、
自室で待っていることになった。
切る物や、小鉢に分ける物など、母に手伝って貰いながら
大急ぎで夕飯の支度をする。
ゲストルームで待ちくたびれていらっしゃるだろうお義母さんと主人を
なんとか部屋へお呼び出来たのが、なんとか「20:00過ぎ」だった。
それでもなんとかわいわいと賑やかな食卓になり、
義兄の話はもちろんだったが、ワタクシ達が結婚してから、の話に始まり、
母が倒れた時の話、等々、あれこれと話題は広がりー。
嬉しいことにお義母さんにも笑顔が戻っていた。
告別式から戻られて、お風呂にも入って、少し仮眠されていたらしい。
斎場での義母とは変わって、大分元気そうに見えた。
「食事はみんなで喋りながら食べると本当に美味しい。。」
お義母さんがぽつりと呟かれたのが、なんとも切なく辛いことだった。。
そしてお義母さんは、また翌日から、義父の看病・介護に追われ、
その合間を縫って「一人で食事をなさる日々」に戻って行かれる。
楽しい時間は「あっ!」と言う間で、お義母さんを「明日の飛行機」に備えて、
「今夜はゆっくり休ませたい」と言う主人の言に従って、お義母さんと主人は
ゲストルームへー。
既に、結構遅い時間になっていたので、食卓を片付けて、休む支度をする
ことになった。
今回、母を連れて来るのには、時間的にも物理的にも、かなりの無理が
あったのだが、お義母さんの母の年齢、健康状態を考えると、
「この機会」が「最後」になる可能性もかなり高かった。
また、母は「子供を失った訳では無いが」、「母親同士の話」も
お義母さんと母とでなら出来るのではないか、とも思い、敢行した。
ともかく、こちらのマンションに落ち着かれてから、休まれたせいも
あっただろうが、見違えるほど表情が明るくなり、笑顔まで見せて下さったので、
心底ほっとした。
勿論、母やワタクシに気を遣ってのことではあっただろうがー。
翌日月曜日、半休をとった主人がお義母さんを羽田まで送り、ワタクシは
母を施設に帰し、自宅に戻るなり洗濯物との大格闘が2日間延々と続いた。
連日、朝から晩まで詰めている状態が続いていたので、下着から何から何まで、
いよいよ「着る物」がなくなってしまう~!
と青くなっていた所で一連の葬儀一式が終了した。
月曜日にも水曜日にも、外せない用事があったのだが、いかんせん、
葬儀での疲れと寒さにすっかりやられてしまい、殆ど丸々2日間、
寝込んでしまった。
月曜日は母の送り迎えや、葬儀の後の整理やらで、ドタキャンせざるを得ず、
火曜日、水曜日は、朝、一応目は覚めるものの、起きあがることが出来ずー。。
まあ、洗濯物だけでも済ませられたので「良し」としよう。
義兄の亡くなった日は、寒い今年の冬の中でも殊更に寒い日が続いていたせいか、落ち着いた頃、知人、親戚、友人の訃報が次々舞い込みーー。
この週末(0128~0129)には日射しも戻り、お天気も晴れてはくれたが、
これまた風が酷く、相変わらず相当な寒さが続いている。
家の中で日射しの恩恵にだけ浴している時は「ぽかぽかと」気持ちよいのだが、
一歩外に出ると、風は勿論、空気のあまりの冷たさにも文字通り凍える思い
だった。
ワタクシも不覚にも2日間ほど寝込んだものの、そのお陰もあって、
体調はかなり回復している。
しかしながらー。
毎年の、この時期の「書類」については、いつもなら、2~30%がた、
終わっていて、かつ、大体の目安なども付いている頃なのだがー。。
一連の葬儀や、寝込んでドタキャンしてしまった約束等々が、今週来週に
また仕切り直しなので、どの程度挽回出来るやら、正直頭が痛い。。
どうぞ皆様もご自愛をー!
さもなければ「スルー」して下さっても構いません。。)
お義母さんは、約40年前、義兄と主人が、大学に行くために上京した頃から
お義父さんと二人きりの生活が始まり、当然食事も「二人きり」だった。
そのお義父さん、まず「お喋り」などするタイプでは無く、必要が無ければ
殆ど口も効かない方だったそうだ。
それでもまだ「お二人でいらした間」は「良し」としよう。
約20年前、ワタクシ達が結婚した頃から、お義父さんはおかしくなり、
ワタクシ達の結婚式には出席されたものの、その直後くらいから「普通に」は
暮らせなくなった。
後は、まさに「転がるように」悪くなり、口も効けなくなり、
手足も動かせない寝たきりの老人になってしまった。
170cmはゆうに超えていて、かつ恰幅も良いので体重もかなりありそうな
お義父さんに対し、お義母さんは150cm無い小柄で痩せた方で。。。
およそ20年間、お義母さんは、ゆっくりまともに食事をなさったことなど
殆ど無いだろう。
また母も、決して嫌いではないのだが、父が晩酌の時に毎晩欠かさなかった
「お刺身はあまり食べる気がしない。」
と、基本的にが「お刺身」を嫌がっていたのだが、病院や施設では
「まず食べられない」ので、「たまには食べさせて」と珍しく自分から
リクエストする昨今だった。
その母も施設では「鍋物」はまず食べられない。
でー!
お義母さんにも、母にも、必ず喜んで貰えるだろう「鍋物」
→これは主人が
「おふくろはすき焼きが大好きだから。」
の一言で、文句なく「すき焼き」に決まりー!
いつもより豪華に張り込んだ「すき焼き」の材料を買い揃え、
キッチンに置いて、今度は「母を」施設から連れて来なければならない。
近くの老健まで母を迎えに行く。
母を自宅に連れ帰った時、既に「18:30」を回っていた。
母の施設では「夕飯は「6地から」で、大概はその30分前には
もう「食べ始めている」のが実情。。
なので「来客が有り、自宅で会食の用意をしているので~。。」
と施設にお願いし、母は、皆さんが夕飯を食べる中、一人、
自室で待っていることになった。
切る物や、小鉢に分ける物など、母に手伝って貰いながら
大急ぎで夕飯の支度をする。
ゲストルームで待ちくたびれていらっしゃるだろうお義母さんと主人を
なんとか部屋へお呼び出来たのが、なんとか「20:00過ぎ」だった。
それでもなんとかわいわいと賑やかな食卓になり、
義兄の話はもちろんだったが、ワタクシ達が結婚してから、の話に始まり、
母が倒れた時の話、等々、あれこれと話題は広がりー。
嬉しいことにお義母さんにも笑顔が戻っていた。
告別式から戻られて、お風呂にも入って、少し仮眠されていたらしい。
斎場での義母とは変わって、大分元気そうに見えた。
「食事はみんなで喋りながら食べると本当に美味しい。。」
お義母さんがぽつりと呟かれたのが、なんとも切なく辛いことだった。。
そしてお義母さんは、また翌日から、義父の看病・介護に追われ、
その合間を縫って「一人で食事をなさる日々」に戻って行かれる。
楽しい時間は「あっ!」と言う間で、お義母さんを「明日の飛行機」に備えて、
「今夜はゆっくり休ませたい」と言う主人の言に従って、お義母さんと主人は
ゲストルームへー。
既に、結構遅い時間になっていたので、食卓を片付けて、休む支度をする
ことになった。
今回、母を連れて来るのには、時間的にも物理的にも、かなりの無理が
あったのだが、お義母さんの母の年齢、健康状態を考えると、
「この機会」が「最後」になる可能性もかなり高かった。
また、母は「子供を失った訳では無いが」、「母親同士の話」も
お義母さんと母とでなら出来るのではないか、とも思い、敢行した。
ともかく、こちらのマンションに落ち着かれてから、休まれたせいも
あっただろうが、見違えるほど表情が明るくなり、笑顔まで見せて下さったので、
心底ほっとした。
勿論、母やワタクシに気を遣ってのことではあっただろうがー。
翌日月曜日、半休をとった主人がお義母さんを羽田まで送り、ワタクシは
母を施設に帰し、自宅に戻るなり洗濯物との大格闘が2日間延々と続いた。
連日、朝から晩まで詰めている状態が続いていたので、下着から何から何まで、
いよいよ「着る物」がなくなってしまう~!
と青くなっていた所で一連の葬儀一式が終了した。
月曜日にも水曜日にも、外せない用事があったのだが、いかんせん、
葬儀での疲れと寒さにすっかりやられてしまい、殆ど丸々2日間、
寝込んでしまった。
月曜日は母の送り迎えや、葬儀の後の整理やらで、ドタキャンせざるを得ず、
火曜日、水曜日は、朝、一応目は覚めるものの、起きあがることが出来ずー。。
まあ、洗濯物だけでも済ませられたので「良し」としよう。
義兄の亡くなった日は、寒い今年の冬の中でも殊更に寒い日が続いていたせいか、落ち着いた頃、知人、親戚、友人の訃報が次々舞い込みーー。
この週末(0128~0129)には日射しも戻り、お天気も晴れてはくれたが、
これまた風が酷く、相変わらず相当な寒さが続いている。
家の中で日射しの恩恵にだけ浴している時は「ぽかぽかと」気持ちよいのだが、
一歩外に出ると、風は勿論、空気のあまりの冷たさにも文字通り凍える思い
だった。
ワタクシも不覚にも2日間ほど寝込んだものの、そのお陰もあって、
体調はかなり回復している。
しかしながらー。
毎年の、この時期の「書類」については、いつもなら、2~30%がた、
終わっていて、かつ、大体の目安なども付いている頃なのだがー。。
一連の葬儀や、寝込んでドタキャンしてしまった約束等々が、今週来週に
また仕切り直しなので、どの程度挽回出来るやら、正直頭が痛い。。
どうぞ皆様もご自愛をー!
2012.01.22(日).-2 [徒然雑感]
急に寒くなった時候のせいか、急な葬儀が多いらしく、告別式+初七日法要は
なんと朝の「9時~10時」となった。
この日もまた、憎らしいくらいの雪交じりの雨。
寒い上に濡れて困る。
「喪主」は義姉が勤めたが、親族代表の挨拶は主人が請け負い、
「告別式+初七日法要」が滞りなく終わってから、故人との思い出を
織り込みながら簡単に話し、会葬御礼とした。
そのまま「控え室」に戻る間も無く、すぐさま、故人を近親の男性達が
主になって「焼き場」に向かう車に移し乗せる。
その男性陣は勿論、葬儀に居合わせた親族、知人友人、も、斎場側が用意した
バスに分乗しー。
焼き場での一連の儀式の後、故人がお骨になるまでの間、
「精進落とし」として、かなりのご馳走が振る舞われる。
その食事が済むか否か、今度はお骨上げで、まるでベルトコンベアに
乗せられた科のように整然と、時間通りに進んでいく。
遺族が「ゆっくり悲しむ場」も「時」も、およそ無い。
ある意味、このように機械的に進められていくことが必要なのかもしれない。。
焼き場でのお骨上げが終わると、お骨になった故人を「喪主」が胸に抱いて、
遺影は長男が、位牌は次男が、それぞれに持ち、斎場へ戻りー。
後は驚く程速やかに(まるで追い出されるのように)斎場から故人の自宅へ、と
送り出されて、斎場での一通りは終了する。
この夜は、お義母さんには、ワタクシ達夫婦が住んでいるマンションの
ゲストルームに泊まって頂き、施設に預けているワタクシの母も連れて来て、
お義母さん、主人、母、ワタクシ、の4人で会食の予定があった。
このまま帰宅しても少々時間的に厳しい。
とは言うものの、年老いた義母の「もう一度故人を拝みたい」との強い希望で、
斎場に近い義兄宅に寄った。
義兄宅に上がる時に「柄杓での清め水」「お清めの塩」があり、、
(正確にはどちらもどのように言うのかはわからない。)
義姉、義母、息子達、その連れ合い、その子供達、主人、ワタクシ、と
順々に儀式に従いーー。
実際、義兄宅にお邪魔したのは、そう長い時間ではなかったがー。。
氷雨降る中、タクシーで最寄り駅迄行き、電車を乗り継いでワタクシ達の自宅迄
戻ったのだが、悪いことに「東京駅」「有楽町駅」のマンモス駅で2回も
乗り換えがあり、日頃、ご自分で運転される車での移動に慣れていらっしゃる
お義母さんには、果てしなく歩くマンモス駅での乗り換えが、相当にきつかったようで。。
噂には良く聞いていた「自動改札を通れないお年寄り」をまさに地で行きー。
動く歩道、エスカレーターに、実に危なげに乗られてー。
冷や冷やしどうしの帰路となった。
お義母さんがゲストルームに落ち着かれてから、ワタクシは近所のスーパーに
買い物に走ることになる。 (→続く)
なんと朝の「9時~10時」となった。
この日もまた、憎らしいくらいの雪交じりの雨。
寒い上に濡れて困る。
「喪主」は義姉が勤めたが、親族代表の挨拶は主人が請け負い、
「告別式+初七日法要」が滞りなく終わってから、故人との思い出を
織り込みながら簡単に話し、会葬御礼とした。
そのまま「控え室」に戻る間も無く、すぐさま、故人を近親の男性達が
主になって「焼き場」に向かう車に移し乗せる。
その男性陣は勿論、葬儀に居合わせた親族、知人友人、も、斎場側が用意した
バスに分乗しー。
焼き場での一連の儀式の後、故人がお骨になるまでの間、
「精進落とし」として、かなりのご馳走が振る舞われる。
その食事が済むか否か、今度はお骨上げで、まるでベルトコンベアに
乗せられた科のように整然と、時間通りに進んでいく。
遺族が「ゆっくり悲しむ場」も「時」も、およそ無い。
ある意味、このように機械的に進められていくことが必要なのかもしれない。。
焼き場でのお骨上げが終わると、お骨になった故人を「喪主」が胸に抱いて、
遺影は長男が、位牌は次男が、それぞれに持ち、斎場へ戻りー。
後は驚く程速やかに(まるで追い出されるのように)斎場から故人の自宅へ、と
送り出されて、斎場での一通りは終了する。
この夜は、お義母さんには、ワタクシ達夫婦が住んでいるマンションの
ゲストルームに泊まって頂き、施設に預けているワタクシの母も連れて来て、
お義母さん、主人、母、ワタクシ、の4人で会食の予定があった。
このまま帰宅しても少々時間的に厳しい。
とは言うものの、年老いた義母の「もう一度故人を拝みたい」との強い希望で、
斎場に近い義兄宅に寄った。
義兄宅に上がる時に「柄杓での清め水」「お清めの塩」があり、、
(正確にはどちらもどのように言うのかはわからない。)
義姉、義母、息子達、その連れ合い、その子供達、主人、ワタクシ、と
順々に儀式に従いーー。
実際、義兄宅にお邪魔したのは、そう長い時間ではなかったがー。。
氷雨降る中、タクシーで最寄り駅迄行き、電車を乗り継いでワタクシ達の自宅迄
戻ったのだが、悪いことに「東京駅」「有楽町駅」のマンモス駅で2回も
乗り換えがあり、日頃、ご自分で運転される車での移動に慣れていらっしゃる
お義母さんには、果てしなく歩くマンモス駅での乗り換えが、相当にきつかったようで。。
噂には良く聞いていた「自動改札を通れないお年寄り」をまさに地で行きー。
動く歩道、エスカレーターに、実に危なげに乗られてー。
冷や冷やしどうしの帰路となった。
お義母さんがゲストルームに落ち着かれてから、ワタクシは近所のスーパーに
買い物に走ることになる。 (→続く)
お通夜、告別式、無事終了。。 [徒然雑感]
お愚母さんが「金曜日」に、単身九州から上京されて、「月曜日」にお帰りになった。
田舎のことで、「跡取り長男が亡くなった」と知れると、「大騒ぎになるから」と、
入退院を繰り返していた義兄の「お見舞いに行く」と言って、義父を病院のヘルパーさん、
看護士さん達に托していらした。
地縁である御近所さんにも、血縁である親戚にも、日頃から義父がお世話になっている
病院関係者にも、見事に「秘密」だー。
主人は主人で、「兄弟の場合は公にしない暗黙の了解がある」とかで、やはり会社に内緒。
直接仕事等で迷惑をお掛けする上司にだけこっそり。。
義姉は、義兄を九州の故郷のお墓に納骨するつもりらしく、その納骨を待って、
また改めて「再度」田舎でも「法要」をすることになるらしい。
「この冬一番の寒さ」
の記録を更新しながら、仮通夜、お通夜、告別式。。。と粛々と進む。。
「言ってもせんない。。」
とわかりつつ、
「親より早く逝くなんて。。」
「こんなに突然に。。」
義母は涙にくれながら、何度と無くそう繰り返す。。
義姉も、時折大きな声で、義兄に話しかける。
まるで生きているかのようにー。
息子達3人と、そのそれぞれの連れ合いは、まあ、それほど取り乱すことも
無かったが、とにかく「あまりに突然」で、誰も何も、準備も用意も出来ていない。
お通夜の前に「湯罐(ゆかん)」→「納棺」がある。
人生最後のお風呂。。
ーーー正確には「無くなってから初めてのお風呂」とも言えるだろうか?
ともかく「納棺」の前に、故人の全身を儀式に乗っ取って順次清めていく。
斎場の係の方達が手際よく、かつ、遺族が悲しみに浸る時間を適度に計算しつつ
進めていく。
「湯罐」→「納棺」の間に、「白い死に装束」に綺麗に着替えさせられた義兄の姿は
実に綺麗で、良く言われる「まるで生きているよう」であったが。
この一連の流れの中、一つ、気が付いたことがあった。
21年前、父を亡くしたが、その折も、確かに間違いなく「湯罐」→「納棺」はした筈だし、
ワタクシもその場に立ち会った筈なのだが、この辺りの儀式から、お通夜辺りの記憶が
一切無い。
自宅での仮通夜、の印象が一番鮮明な記憶で、後は、告別式の様子が若干ある位だ。
父が他界する約2ヶ月前、交通事故に遭い、まさに急死に一生を得ていた。
「脳挫傷」から来る脳の損傷がやや深刻で、外傷はともかく、正常な意識が戻るか
随分心配されていたらしい。
また「動眼神経切断」と、目全体への強いショックから、「失明」も心配された。
加えて、右膝辺りにも酷い打撲があり、「歩けない」もしくは「普通に歩けなくなる」かもー。
とー。。
まあ、それだけの酷い事故だったのだが、お陰様でなんとか回復し、
今は殆ど「普通に」暮らせている。
悔しいことに、あろうことか「轢き逃げ」だったので、今なお「その時の犯人」は野放しである。
全快を待たずに「自宅療養」と言うことで、約1ヶ月で退院させてもらった。
また、その救急車で運ばれた病院は、自宅から遠かったので、近くのかかりつけ医の
居る大学病院に転院しー。。
まだまだ「本当」でなかったのだろう。
ワタクシが退院して、ほぼ一ヶ月後、父が他界したのだが、その父の葬儀、通夜、告別式、等の
記憶が当時から曖昧だった。
本人は「しっかりしているつもり」でいたのだが、どうやらすることなすこと、
随分と周りを心配させたらしい。
「お通夜」は「土曜日」の「18:00~19:00」に終わり、通夜振る舞いがあって、
翌日曜日、告別式&初七日法要が朝の9時からあった。
☆話がそれてしまったのもあって、少々長くなってしまったので、「続く」として
今夜は休むことにします。
おやすみなさい。。☆
田舎のことで、「跡取り長男が亡くなった」と知れると、「大騒ぎになるから」と、
入退院を繰り返していた義兄の「お見舞いに行く」と言って、義父を病院のヘルパーさん、
看護士さん達に托していらした。
地縁である御近所さんにも、血縁である親戚にも、日頃から義父がお世話になっている
病院関係者にも、見事に「秘密」だー。
主人は主人で、「兄弟の場合は公にしない暗黙の了解がある」とかで、やはり会社に内緒。
直接仕事等で迷惑をお掛けする上司にだけこっそり。。
義姉は、義兄を九州の故郷のお墓に納骨するつもりらしく、その納骨を待って、
また改めて「再度」田舎でも「法要」をすることになるらしい。
「この冬一番の寒さ」
の記録を更新しながら、仮通夜、お通夜、告別式。。。と粛々と進む。。
「言ってもせんない。。」
とわかりつつ、
「親より早く逝くなんて。。」
「こんなに突然に。。」
義母は涙にくれながら、何度と無くそう繰り返す。。
義姉も、時折大きな声で、義兄に話しかける。
まるで生きているかのようにー。
息子達3人と、そのそれぞれの連れ合いは、まあ、それほど取り乱すことも
無かったが、とにかく「あまりに突然」で、誰も何も、準備も用意も出来ていない。
お通夜の前に「湯罐(ゆかん)」→「納棺」がある。
人生最後のお風呂。。
ーーー正確には「無くなってから初めてのお風呂」とも言えるだろうか?
ともかく「納棺」の前に、故人の全身を儀式に乗っ取って順次清めていく。
斎場の係の方達が手際よく、かつ、遺族が悲しみに浸る時間を適度に計算しつつ
進めていく。
「湯罐」→「納棺」の間に、「白い死に装束」に綺麗に着替えさせられた義兄の姿は
実に綺麗で、良く言われる「まるで生きているよう」であったが。
この一連の流れの中、一つ、気が付いたことがあった。
21年前、父を亡くしたが、その折も、確かに間違いなく「湯罐」→「納棺」はした筈だし、
ワタクシもその場に立ち会った筈なのだが、この辺りの儀式から、お通夜辺りの記憶が
一切無い。
自宅での仮通夜、の印象が一番鮮明な記憶で、後は、告別式の様子が若干ある位だ。
父が他界する約2ヶ月前、交通事故に遭い、まさに急死に一生を得ていた。
「脳挫傷」から来る脳の損傷がやや深刻で、外傷はともかく、正常な意識が戻るか
随分心配されていたらしい。
また「動眼神経切断」と、目全体への強いショックから、「失明」も心配された。
加えて、右膝辺りにも酷い打撲があり、「歩けない」もしくは「普通に歩けなくなる」かもー。
とー。。
まあ、それだけの酷い事故だったのだが、お陰様でなんとか回復し、
今は殆ど「普通に」暮らせている。
悔しいことに、あろうことか「轢き逃げ」だったので、今なお「その時の犯人」は野放しである。
全快を待たずに「自宅療養」と言うことで、約1ヶ月で退院させてもらった。
また、その救急車で運ばれた病院は、自宅から遠かったので、近くのかかりつけ医の
居る大学病院に転院しー。。
まだまだ「本当」でなかったのだろう。
ワタクシが退院して、ほぼ一ヶ月後、父が他界したのだが、その父の葬儀、通夜、告別式、等の
記憶が当時から曖昧だった。
本人は「しっかりしているつもり」でいたのだが、どうやらすることなすこと、
随分と周りを心配させたらしい。
「お通夜」は「土曜日」の「18:00~19:00」に終わり、通夜振る舞いがあって、
翌日曜日、告別式&初七日法要が朝の9時からあった。
☆話がそれてしまったのもあって、少々長くなってしまったので、「続く」として
今夜は休むことにします。
おやすみなさい。。☆
今夜、義兄、お通夜。。 [徒然雑感]
義兄、急死。。 [徒然雑感]
一昨年の暮れ、癌が見つかって入院。
既にステージⅣだった、とのこと。
年明けには手術をし、なんとか成功。
しかしあまり予後が良くなく、入退院を繰り返していた。
そうこうするうち、恐れていた癌の再発ではなく、肝臓がかなり悪いことが解りー。。
ご自分のお母様の介護に追われる義理の姉(義兄の奥さん)は、
仕方なく義兄を某施設にお願いした。
主人も激務の合間を縫って、何度かお見舞いには行っていたのだがー。
ついこの間も行って来たばかり。
「前より少し太ったみたいで、元気そうだった。」
と胸撫で下ろし、安心し、遠く九州のお母さんにも、そのように報告していたばかりだった。
今朝、主人が出勤した後、銀行に行こうとしているところへ突然の知らせ!
義兄の三男からー。。
「かなり悪くて危ない状態なので、大至急連絡が取りたい」由。
それから暫く電話とメールが飛び交いーー。
主人も仕事を抜けて、義兄の病院に駆けつける、ことになり。。
ワタクシは連絡係として「自宅待機」。。
お昼前。。
主人が「これから会社を出よう」と言うところへー。
「心肺停止」
「亡くなられた」
との報。。
暮れから危なかったお義父さんが、ようやく少し落ち着かれ、
ずっと緊張していた空気がほんの少し緩み、ほっとしたばかりだった。
確かにー。
癌の再発。。
相当に悪化していた肝臓。。
年等から来る他諸々。。
決して「健康体」とは言い難かったが、それでもこんなに急だなんてー!?
それもお義父さんよりも早くー!?
東京ー九州、と、離れているが為に、また、終始、お義父さんの介護で忙しく、
「お見舞いにも来れなかった」お義母さんの思いは。。
そのお義父さんだって、「とりあえず小康状態」と言うだけで、実のところ、
何時、亡くなられても不思議は無い状態だと言うー。。
「人は必ず死ぬ」とは言うがー。。
せめて時期とか、タイミングとか、もう少し、神の采配があっても良いのでは無いだろうか・・・???
既にステージⅣだった、とのこと。
年明けには手術をし、なんとか成功。
しかしあまり予後が良くなく、入退院を繰り返していた。
そうこうするうち、恐れていた癌の再発ではなく、肝臓がかなり悪いことが解りー。。
ご自分のお母様の介護に追われる義理の姉(義兄の奥さん)は、
仕方なく義兄を某施設にお願いした。
主人も激務の合間を縫って、何度かお見舞いには行っていたのだがー。
ついこの間も行って来たばかり。
「前より少し太ったみたいで、元気そうだった。」
と胸撫で下ろし、安心し、遠く九州のお母さんにも、そのように報告していたばかりだった。
今朝、主人が出勤した後、銀行に行こうとしているところへ突然の知らせ!
義兄の三男からー。。
「かなり悪くて危ない状態なので、大至急連絡が取りたい」由。
それから暫く電話とメールが飛び交いーー。
主人も仕事を抜けて、義兄の病院に駆けつける、ことになり。。
ワタクシは連絡係として「自宅待機」。。
お昼前。。
主人が「これから会社を出よう」と言うところへー。
「心肺停止」
「亡くなられた」
との報。。
暮れから危なかったお義父さんが、ようやく少し落ち着かれ、
ずっと緊張していた空気がほんの少し緩み、ほっとしたばかりだった。
確かにー。
癌の再発。。
相当に悪化していた肝臓。。
年等から来る他諸々。。
決して「健康体」とは言い難かったが、それでもこんなに急だなんてー!?
それもお義父さんよりも早くー!?
東京ー九州、と、離れているが為に、また、終始、お義父さんの介護で忙しく、
「お見舞いにも来れなかった」お義母さんの思いは。。
そのお義父さんだって、「とりあえず小康状態」と言うだけで、実のところ、
何時、亡くなられても不思議は無い状態だと言うー。。
「人は必ず死ぬ」とは言うがー。。
せめて時期とか、タイミングとか、もう少し、神の采配があっても良いのでは無いだろうか・・・???
あ!「800」記事!!! [徒然雑感]
タクシー [徒然雑感]
母との移動では、どうしてもタクシーを使う。
使わざるを得ない事が多い。
大概の運転手さんは、まあまあ親切で、
「高いタクシー代、払うだけのことはあるな。。」
とも思わせてくれて、まずは納得する。
それにしても最近の運転手さん、って、本当に道知らない人が増えた。。
この間、続けて「驚かされたこと」があってー。。
今時は寒いので、母をビルの中など、暖かい所に待たせて、
ワタクシ一人でタクシーを拾いに行く。
リュック担いだ大荷物のワタクシを見つけて、タクシーは大概すぐに
止まってくれるのだけどー。
「そこのビルの中に居る母を連れて来るので暫く待って下さい。」
そう言って、母を連れに戻る、のだけれどー。。
母が居るビルに向かって歩き出した途端!
件の車は何事も無かったかのように、「しゅわっち!」とばかりに
走り去って仕舞った!!!
え、え、え、え、えぇ~~!?!?!?
確かにちょっと高級そうなボディの車で、「個人タクシー」で。
中に居た運転手さんは、昔良く居た、「車で女を釣るタイプ」(?)の
ちょっとHっぽい雰囲気のお爺さん。
自分の大事な愛車に車椅子なんか乗せられないよ。
車椅子で傷でもつけたらたまらない。
車椅子を積んだり降ろしたり、勘弁してよ。
ってことか。。はぁ。。
ともかくは「初体験」だっただけに、ただただびっくり!驚き!
新手の「乗車拒否」か。。
「あぁただって、近い将来、母のようにならない保証は無いんだよ…?」
その翌日、またまたタクシーを止めたところ。
運転手さん曰くー。
「トランク、荷物でいっぱいなんだよなぁぁ。。」
ドッカン!!!(怒り!)
ああ、ああ、要らない!そんな奴!!!(怒!!!)
トランクが無理なら、後部座席にー、と言う手もあるけど、そう言う運転手じゃ、
無理に乗っても気分悪くなるのは目に見えている!
「あ、じゃ、結構です。」
と、こっちから断った。
その後に止まってくれたタクシーが、これまた対照的に
すっごく気配りの効いたとても良い運転手さんで、もう感激して涙が出そうな程!
不景気でタクシーだって大変だ、って聞くのに、母やワタクシみたいな
「本当にタクシーを必要とする人達」を気持ちよく乗せないで、どうっやって生き残るのよ?
そういや。。
もう1~2年前になるけど、いかにも嫌そうに対応していた運転手。
「もう年だから、こんな重いもん、持ち上げられないよ。
お客さん、自分でトランクに積んでくれ。」
って!
ろくに敬語も使えないお爺さん運転手が居たっけー!
「タクシー法」だかなんだか、で、
「トランクは乗客の使用の為に空けておくこと」
とかあるだろうにー。
大体、客の荷物がトランクに積めない程、お爺さんになっているなら
さっさとタクシー運転手なんて止めてしまえ!!(怒!)
一応、車椅子の積み降ろしはしてくれても、終始ぶっきらぼうな輩も結構多いし。。
いかにも「外れ引いた」って表情隠さない運転手も実に多い。。
まあ、それだけに、心細やかな運転手さんに遭遇したりすると、
有り難みと感謝で感激ものなんだけどー。。
使わざるを得ない事が多い。
大概の運転手さんは、まあまあ親切で、
「高いタクシー代、払うだけのことはあるな。。」
とも思わせてくれて、まずは納得する。
それにしても最近の運転手さん、って、本当に道知らない人が増えた。。
この間、続けて「驚かされたこと」があってー。。
今時は寒いので、母をビルの中など、暖かい所に待たせて、
ワタクシ一人でタクシーを拾いに行く。
リュック担いだ大荷物のワタクシを見つけて、タクシーは大概すぐに
止まってくれるのだけどー。
「そこのビルの中に居る母を連れて来るので暫く待って下さい。」
そう言って、母を連れに戻る、のだけれどー。。
母が居るビルに向かって歩き出した途端!
件の車は何事も無かったかのように、「しゅわっち!」とばかりに
走り去って仕舞った!!!
え、え、え、え、えぇ~~!?!?!?
確かにちょっと高級そうなボディの車で、「個人タクシー」で。
中に居た運転手さんは、昔良く居た、「車で女を釣るタイプ」(?)の
ちょっとHっぽい雰囲気のお爺さん。
自分の大事な愛車に車椅子なんか乗せられないよ。
車椅子で傷でもつけたらたまらない。
車椅子を積んだり降ろしたり、勘弁してよ。
ってことか。。はぁ。。
ともかくは「初体験」だっただけに、ただただびっくり!驚き!
新手の「乗車拒否」か。。
「あぁただって、近い将来、母のようにならない保証は無いんだよ…?」
その翌日、またまたタクシーを止めたところ。
運転手さん曰くー。
「トランク、荷物でいっぱいなんだよなぁぁ。。」
ドッカン!!!(怒り!)
ああ、ああ、要らない!そんな奴!!!(怒!!!)
トランクが無理なら、後部座席にー、と言う手もあるけど、そう言う運転手じゃ、
無理に乗っても気分悪くなるのは目に見えている!
「あ、じゃ、結構です。」
と、こっちから断った。
その後に止まってくれたタクシーが、これまた対照的に
すっごく気配りの効いたとても良い運転手さんで、もう感激して涙が出そうな程!
不景気でタクシーだって大変だ、って聞くのに、母やワタクシみたいな
「本当にタクシーを必要とする人達」を気持ちよく乗せないで、どうっやって生き残るのよ?
そういや。。
もう1~2年前になるけど、いかにも嫌そうに対応していた運転手。
「もう年だから、こんな重いもん、持ち上げられないよ。
お客さん、自分でトランクに積んでくれ。」
って!
ろくに敬語も使えないお爺さん運転手が居たっけー!
「タクシー法」だかなんだか、で、
「トランクは乗客の使用の為に空けておくこと」
とかあるだろうにー。
大体、客の荷物がトランクに積めない程、お爺さんになっているなら
さっさとタクシー運転手なんて止めてしまえ!!(怒!)
一応、車椅子の積み降ろしはしてくれても、終始ぶっきらぼうな輩も結構多いし。。
いかにも「外れ引いた」って表情隠さない運転手も実に多い。。
まあ、それだけに、心細やかな運転手さんに遭遇したりすると、
有り難みと感謝で感激ものなんだけどー。。
待機。。 [徒然雑感]
朝、大量の洗濯物と大格闘。。
都合2回洗濯機を回し、ベランダとカワックに分けて、なんとか干すことが出来た。
夕方、ようやく「乾いた」と、ほっとする間も無く、
2回目の洗濯物がー!
ようやく朝の洗濯物の「かた」がつきそうだったのに。。ふぅ。。
「下洗い」をして脱水。
ちょうどゴルフから帰宅した主人の汚れ物と一緒に洗濯機を回す。
もう日も暮れているので、当然カワックに干すー。。
「今夜は早めに眠れそうだ。
さっきの洗濯物を取り込んで、畳んでしまってから寝るとしよう。。」
ところへー。
3回目の洗濯が待っていた。。
日付も変わって「いつも」よりは「早め」(?)の時間ではあるがー。。
しかも。。
2回目に洗濯した物が、まだ完全には乾いていない。
2回目と3回目は、量こそ少なめだが、「下洗い」が必要で、
かつ「即!」洗ってしまわないとならないので。。
気持ち的には「そろそろ寝ようモード」に入っていただけに「ちと」。。
あ?
洗濯機が終わったサイン・・・?
早くカワックに干して寝るとしよう。。
結局、また遅くなってしまったなぁぁ。。
おやすみなさいませ。。 ぐすん。。
都合2回洗濯機を回し、ベランダとカワックに分けて、なんとか干すことが出来た。
夕方、ようやく「乾いた」と、ほっとする間も無く、
2回目の洗濯物がー!
ようやく朝の洗濯物の「かた」がつきそうだったのに。。ふぅ。。
「下洗い」をして脱水。
ちょうどゴルフから帰宅した主人の汚れ物と一緒に洗濯機を回す。
もう日も暮れているので、当然カワックに干すー。。
「今夜は早めに眠れそうだ。
さっきの洗濯物を取り込んで、畳んでしまってから寝るとしよう。。」
ところへー。
3回目の洗濯が待っていた。。
日付も変わって「いつも」よりは「早め」(?)の時間ではあるがー。。
しかも。。
2回目に洗濯した物が、まだ完全には乾いていない。
2回目と3回目は、量こそ少なめだが、「下洗い」が必要で、
かつ「即!」洗ってしまわないとならないので。。
気持ち的には「そろそろ寝ようモード」に入っていただけに「ちと」。。
あ?
洗濯機が終わったサイン・・・?
早くカワックに干して寝るとしよう。。
結局、また遅くなってしまったなぁぁ。。
おやすみなさいませ。。 ぐすん。。
毎日毎日。。 [徒然雑感]
オーバーワークで、
疲れてて、
眠くて、
そのうち「ぽっくり」・・・???
「もっと早く寝よう」
「早く寝なくちゃ!」
と毎日毎日思いつつ、今日もあっと言う間にこんな時間。。
おやすみなさぁぁぁぁぃぃぃぃぃ。。。。
疲れてて、
眠くて、
そのうち「ぽっくり」・・・???
「もっと早く寝よう」
「早く寝なくちゃ!」
と毎日毎日思いつつ、今日もあっと言う間にこんな時間。。
おやすみなさぁぁぁぁぃぃぃぃぃ。。。。
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